為朝伝説
この間沖縄ツアーで本島に行ってきました。
そのときに、地元の人から為朝伝説という話を聞いたのでここで紹介したいと思います。
為朝の琉球渡来説がもっとも流布し、史実として信じられてきたのは、当の琉球においてでした。
琉球では、『古事記』や『日本書紀』に相当する最初の正史『噛雌憧鍬』(1650年)でその説がとりあげられ、以後の史書もそれにならってきたからです。
それらの正史では、記・紀の神代にあたる時代を天孫氏の御世とし、神武天皇にあたる舜天王から琉球王統がはじまるとしています。
そして、その舜天は、清和源氏の後喬「鎮西八郎為朝公ノ男子也」としているのです。
その由来は、ほぼつぎのようなものです。
伊豆大島を脱出した為朝の舟は、潮流に流されて琉球にたどりつきました。
ですから、これまで流きゅうと書かれていたのを、流れに従って求めた島ですから、流求と書きあらためるようになったのです。
(これはしかし、中国の史書が琉球のまえには流きゅう、流求と記していたことからのこじつけでしょう。)